【リスタート の会】医学部医学科|元40代再受験生のブログ

自己紹介:22歳で某大学理系学部を卒業後、複数の民間企業に勤務。2011年、40代半ばで某国立大学医学部医学科に入学した再受験生です。2017年卒業、同年医師国家試験合格。2年間の卒後臨床研修(初期研修)を経て、2019年から某科専攻、現在勤務医です。                              ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ブログ紹介:001)~120)が医学科6年生~初期研修の日記です。元々再受験生の会(リスタートの会)のブログにするつもりだったのが、年に2回程度しか集まれず、すぐにネタ切れ。そのうちに個人的なブログに変身してしまいました。非医療関係者の方々に医学生や研修医の日常を垣間見ていただけましたら幸いです。                                     医師3年目以降については201)以降に掲載。仕事の話は特定されない程度の内容に留めており、趣味や日常の当たり障りのないことを適当に書いてます。話題に一貫性やまとまりがありませんが、悪しからずご了承を。会社員から医師に転向した者の日常の独り言集です(一部、回想記を含む)。タイトルには「元40代」とありますが、このブログを書き始めた頃にはとっくに50代に突入していました。 趣味:ベランダ菜園、文鳥飼育、日曜大工、YouTube 視聴など。過去の趣味:海外旅行(50ヶ国以上)、バイクツーリングなど。  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――注:1)~204)(2019年7月まで)はヤフーブログからの引っ越し記事のため、コメント書き込み不能です。ただし、107)は例外。コメント書き込みをご希望の方は、107)か最近の記事のコメント欄からお寄せください。

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(前ページからの続き)

長期間の浪人生活をしていて、その間にメンタルがやられてしまった方の記事。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/c405484b7f13f40e670f7be80f95f3fae06b0595?page=5
健康第一。

浪人中は調子が悪く、いわゆる中弛みの状態が続いていたものの、友人が掛けてくれた言葉に背中を押されて、エンジン全開となったようです。良かったですね。

現役で医学部に受かる人も居ますが、全体的には半分弱ぐらいかな。私大に限ると3割とか。
現役以外だと、1浪、2浪、…、多浪、そして、再受験。
再受験でも、浪人のように、1年、2年、…、数年かかることもあるでしょう。

何年か頑張っても医学部に入れなかった場合に、それでも合格するまで続けるという選択肢もありますが、スパッと諦めて別の道を探るという選択肢もあります。
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ここから先は、あくまでもわたしの持論です。
何年か受験浪人を続けてもダメだった場合、どうしますか?、という話。

<持 論>

ひとつの考え方として捉えていただけたら幸いです。
受験のための期間を自分なりに決めて、その間集中的に頑張って、それでもダメだったら、一旦は受験から身を引いて、社会人経験を積んだ方が良いと思います。受験勉強を長期間してきてもダメだった場合、あまりにもその期間が長いと社会的に根無し草になりかねないからです。とは言え、未経験でできる仕事もないわけではないので、根無し草は言い過ぎかもしれませんし、本人の適性にもよりますが、自営業などの道もあるかもしれません。
しかし、ある程度の給料をもらって…と企業就職を考える場合、多浪のような空白期間が長いと、現在の日本社会では不利な扱いをされることが多いです。

わたし自身、元来飽きっぽいところも少々あることから、こんなことを言ってしまうのかもしれませんが、受験ばかりに一直線でも気が滅入ってしまうでしょう。1年でも早く医師に…は解りますが、多浪でメンタルが病み始めていると自覚したら、ペースダウンは必要でしょう。その重症度によっては、受験から完全に距離を置いた方がベターです。

そして、多浪は合格という目標が達成されていない状態ですから、そんな状態が長く続けば中弛みしてしまい、モチベーションが低下しやすくなるのは明らかです。
モチベーションが低下した状態では受験勉強が捗らず、惰性の毎日が続いて、ただただ苦痛なはずで、悪循環です。受験を控えている人なら、本来なら日常的に緊張感があるだろうと思いますが、そんな状態で何年間にも渡ってベストコンディションで続けられる人は、超人的な人だけです。
メンタルを如何にして保つかが重要であることは、1浪でも経験したことがある人なら納得できる話です。

「不合格になった時のことを考えるな」「合格だけを考えろ」「気合いだ」「受験だけに集中して後は考えるな」「自分を崖っぷちに追い込め」というのは、まぁ受験の直前はそうだと思います。直前になって不安焦燥や迷いが出るようではいけませんから、そこは上手くマインドコントロールする必要があります。
しかし、誰でも入れてくれる世界ではありません。多浪しても入れない人が一定数居ます。
精神論だけでやれるなら、それこそ苦労はありませんし、おめでたい話です。
冷静さと現実検討能力を失ってはいけません。

<わたしの受験時代>

わたしの受験時代は、昼間は働いていたこともあり、1日の勉強時間は決して多くありませんでしたが、気持ちの上では臨戦態勢でした。獲物を射程距離内に捉えた捕食動物であり、100m全力疾走の状態です。特に合格前の1年弱の期間は調子が良かったこともあって、正に臨戦態勢でした(厳密には、8月頃まではスパートをかけず、やや緩めにして走る長距離マラソンのイメージではありますが)。
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しかし、受験から離れていた約4年間は、心身のリハビリも兼ねていた期間でほぼ無勉状態。体勢を立て直して、再チャレンジした詳細は 106)に書きました。

もし仮に心身健康で、それをいいことに全力疾走の勢いのまま、2~3年ぐらい続けていたとすると、それまでに受かっていれば問題ありませんが、受からなければそのうちに失速する時が来て、緊張の糸はプッツリ切れてしまい、その先は心身ボロボロになっていたかもしれないなと、そんなふうに振り返ります。
結局、100mダッシュのような要領で何kmも走り続けてはとても身が持たないことと同じで、猛勉強を何年も続けられるわけがありません。
マラソンみたいに、夏まではゆっくりペース、秋にペースを上げて、冬は追い込みといったペース配分はもちろん考えます。それは考えますけど、基本的には年中猛勉、特に秋からはストイックに臨戦態勢。
しかし、そんなのを不合格の度に毎年繰り返していたら、気が滅入りますわ。

<期限を区切り、そこでダメなら一旦終了>

取り敢えず年単位で一定期間を全力でやり切り、それで結果が伴わなかったら、気持ちに踏ん切りを付け、他に目を向けて適度に視野を広げた方が、惰性で浪人を続けるよりは余程その後の人生の糧になると思います。
それに、人生何をするにもお金が要ります。働く機会を得て、ある程度は預貯金を作っておきたいところです。

<一旦終わらせる理由>

これは要するに、そもそも全力で何年も続くはずもなく、惰性で時間を浪費してしまう状況に陥ることを防ぐこと、心身がやられることを最小限にすること、社会的損失や不利益を拡大させないこと、というのが理由です。
そして、結果的に目標達成できなかったことは、どんな理由があるにせよ、自分の責任ですから、一旦は自分自身でそのけじめを付ける意味があります。合格すれば受験は終わりますが、不合格が続いてもいつか受験は終わります。より正確には、受験を終わらせる時が来ます。どこで終わりにするのかは自分自身で決めるものですが、これまでの過去に区切りをつけないと、これからの未来に進めません。

<一旦終了後>

そして、受験を完全に諦めるか(中止)、取り敢えず保留にするか(中断)はその人次第ですが、いずれにせよ受験は休業で。そこで、受験戦線から外れ、働くなどで有意義な社会人生活を送りましょう。
個人的な考えですが、まずは1年はその職場で働いてみましょう(職場でパワハラなどがあれば別問題ですが)。周囲の人たちから「あなたとなら一緒に働いてもいい」と思われるような、同僚や取引先から信頼されるような人になりましょう。「オレには受験がある」などといつまでも気持ちを引き摺らないように、取り敢えず受験のことはスパッと切りましょう。仕事の休憩時間に車中に引き籠り、コソコソと勉強するのは、不審者に思われるだけですから、一応やめておきましょう。イヤホンで英語のリスニングを聞く程度なら構わないでしょうけど。
仕事は仕事、手を抜くことがないように、働くからには頑張って働きましょう。

そして、そのまま働いていてもよいと思えるようになったら、そのまま2年、3年と引き続きその仕事をすればよい。医師になるのはやめて、その仕事に徹する。
それも人生です。

しかし、やはり医師になるのを諦めきれず、またやってみたいと思い直すようになれば、再チャレンジも可です。出直すのも人生。そんなふうに意欲が上がってきたら、それはそれでチャンスかもしれません。職場では何食わぬ顔をして働き、夜の時間を効率よく勉強に宛がうことから再開しましょう。
つまり、再チャレンジの機会が、数年間のお休みの後にあってもいいんじゃないですかという話。

なお、一旦受験勉強から離れてしまい、何年後かに再チャレンジできる体制が整うのか、つまり、勉強していなかった状態から勉強再開して、合格まで学力を高めることができるものなのか?
勉強を中断して、以前覚えたことをすっかり忘れてしまっていないか?
中断することは、非効率ではないのか?
それは、人それぞれかもしれません。
前に一度勉強していたことが、昔取った杵柄の如く、再開後にすぐに感覚が戻ることもあるでしょう。ただそれは、その人が以前勉強した時に、どのぐらい全力でやり込んでいたかにもよるでしょう。

受験を一旦やめた後に、いつか再びチャレンジする日が訪れるかどうかに関わらず、会社に勤めている間も、英語だけは継続して勉強しておくといいです。例えそれが趣味みたいであっても何でもいいので、最もユニバーサルな科目である英語を続けておきましょう。
医学生になってからも、英語は必要です。
全力疾走ではなくても、軽いランニングのイメージでいいので。

心身の調子があまり良くなければ、良くないなりにリハビリ程度でもいいでしょう。それでも未来につなげておいた方がいい。英語だけは続けてやっておいてください。
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そうやって、本格的に意欲が上がるなりして再チャレンジの状況が整えば、過去に勉強もしていたことですし、臨戦態勢に突入するのは比較的容易でしょう。

ところで、勉強したいと思っているのに、肝心の勉強する意欲がなかなか湧いてこないということもあるかもしれません。
それなら、意欲が上がってくるまで待つしかないでしょう。そんな状況では猛勉できませんから、結果を出すことは無理でしょう。

では、いつまで待てばいいの?
判りません。

モチベーションが下がった状態での多浪は苦痛だと書きましたが、そもそもモチベーションが上がらない状態で再開しようにも、空回りするだけです。
どうやったらモチベーションが上がるのか?…これは重要ですが、実際には人それぞれですから、「こうしたらいいよ」とはなかなか書けませんね。
書ける機会があったら書きますが、薄っぺらいコメントになりそうです。

どうしても勉強自体を受け付けなくなったら、その時はもう別の道を考えた方がいいかもしれません。受験は希望者全員が希望通りになる世界ではありませんし、医学生になっても医師になっても勉強する姿勢は必要です。知識など吸収しようとする気がなくなってしまったら、医者の世界ではとてもやっていけないです。
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<まとめ>

あくまでもわたしの持論です。全力で何年も持ちません。持つわけがありません。
持つのが1年なのか、2年なのか、3年なのか、人それぞれでしょうが、期限は設定した方がいいと思います。無期限に多浪を重ねれば、早かれ遅かれ必ずどこかで弛みます。
そして、設定した期限内に達成できなければ、一旦終了にして方向転換。
いろいろ勘案すれば、続けるより方向転換の方が明らかにベターだと思います。

ただし、将来的にまたいつかチャレンジしたいという含みは(未練みたいですが)、残しておいてもいいと思っています。英語など最小限の科目だけでも、ランニング程度のペースでもいいので、継続的に勉強されてみてはどうでしょうか。
そうしながらも、会社勤めの人なら会社の仕事を頑張りましょう。

そして、将来またチャレンジする日が訪れるのかどうなのか、そこは人によるとしか言えません。
チャレンジする日が再び来なかったとしても、それはそれでその人の人生。それこそ、医学部入学だけが人生ではありません。
周囲の人の助けや影響、環境などにも大いに関係すると思いますし、運もあるでしょうが、最終的に何がどうなるかは神のみぞ知るとしか言いようがありません。

わたしの考えですから、同じように思わない方も居られると思います。諦めずに4浪して受かっている人も世の中には居ます。だから、3年間を区切りにしていたとしても、気力が残っていれば、「もうあと1年」という気持ちにもなるかもしれません。難しいです。しかし、ズルズル行くかもしれませんし…。
まぁ、受験にタラレバ(~していたら、~していれば)はつきものです。

受験は賭け事とは違いますが、「あと1回賭ければ当たりが出るかもしれない」と賭け続けることが如何に危険なことか、不発の時の創が深くなることが冷静に考えれば解ります。
当たる根拠のない賭け事ではなく、勝算があれば「もう1年」も百歩譲っていいかもしれません。
しかし、多浪を重ねて果たして結果を出せるのか、一旦ここでやめて他に目を向けるべきなのか、立ち止まって考える機会は必要だと思いますね。

多浪してもダメだったケースを想定した、受験生にとっては非常に縁起の悪い話題ではありましたが、そこはやはり現実検討は必要ということで、書かせていただきました。

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少し前の記事ですが、NY州の司法試験を受験した例のKさん、2回目も不合格だったという記事がありました。
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まぁ、わたしがゴシップ記事を担ぐ気はサラサラありませんが…。

本人申告で5点差ということですが、不合格は不合格。あるところでスパッと線を引かれて、それより上とそれより下で天と地ほどの大差があります。試験ですからそんなもんでありまして、明暗を分けるのも仕方がありません。400点満点の試験で5点差なら、1.25%差。
再試験がまた3ヶ月後にあるし、何回でも好きなだけ受ければいいんじゃないかな??

それにしても、NYは超物価高。ゴシップ記事にはラーメン1杯20ドルとか載ってたし、家賃もメチャクチャ高いし。ラーメンを食べるかどうかは知りませんが、こんな燃費の悪い生活をしていたら、カネがいくらあっても…。
あれっ、この人、カネいくらでもあるんかな??
しかし、身の丈に合った生活をされた方がよろしいのではないでしょうか??
余計なお世話でしたね。ゴシップはここまで。

この記事を受けてのことかどうか、判りませんが、大手予備校のKさん、じゃなかった、K塾さんが、こんなページを掲載していました。
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あと5点の重み。
https://www.kawai-juku.ac.jp/exam-info/kinki/inochinomori/information/ctg02/003/
たかが5点、されど5点。 ふむふむ、なるほど。
「…あと『5点』が勝敗を決するのが医学科入試だからです」と結んでいますね。

2006年にわたしが医学部を受験した時は、5点差ならぬ5.5点差で不合格でした。この僅差には思わず顎が外れそうになりました。1,100点満点だったので、0.5%差だったんですわ。
このブログの105)に、不合格体験記も書きましたが、当時アラフォーでした。
https://igakubu-saijuken-restart.blog.jp/archives/1761199.html
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これ、不合格の時のもの。979.3/984.8。順位Aでも、不合格なら意味なし。
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あとちょっとだったとしても、ダメなものはダメで、また振り出し。
キビシイのであります。

その後は体調不良が祟って、受かったのが5年後でしたが、この時に思ったのは「5年余分に働かなきゃいかんな」「5年余分に生きなきゃいかんな」と。24歳で医師免許を取った現役組があと40~50年やれるのに比べれば、自分の場合はせいぜいその半分程度が関の山。
しかし、医師人生が短いながらも、「予定よりは5年余分に働こうか」と開き直ってやればいいのかなと思っています。

浪人生や再受験生へ。医学部受験に関しては、18歳も20歳も誤差のうちですよ。
20歳も25歳も誤差のうちですよ。
25歳も30歳も誤算のうちですよ。
30歳も35歳も誤差のうちですよ。
35歳も40歳も…。あれっ?!
じゃあ、18歳も40歳も誤差のうち??
それはないわ。笑。
しかし、40歳入学でも、道は開けます。わたしはもっと上でした。

しかししかし、道は続く。♬線路は続くよ、どこまでも~♬
…と言っても、取り敢えずは医師国家試験までで一段落。それを超えればボチボチと~。
医師国家試験では、記憶力がなかなか付いて来ず、正直言ってヤバかった。
試験直後はヤバいヤバいと言いつつ、合格が判ってから安堵していると、「合格すれば、ギリギリだって何だって関係ないっすよ」と慰めだか何だか解りませんが、そんな声をかけてもらったりもしました。

弁護士も医師も、試験に受からなければタダの人。
キビシイですね。

医学部入試の合格者最低点は、2006年からのものがこちらのサイトに掲載されています。
https://yobimemo.com/daigakunyuushi/kokkouritsudai/mie-i-saiteiten/

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徳島県の高校生がスタンフォード大学に現役合格したというニュースが、ヤフーで報道されていました。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/cb97ded6c67003d1d3d6aecab87bbd377baff902

スタンフォードと言えば、世界大学ランキング2位の超名門大学。

小中高の学校生活であまり馴染めず、コミュニケーションを取ることが苦手だったことから、誰も取り残されない社会を作りたいという思いが彼女にはあったそうです。アメリカの大学なら突飛な考えも評価してくれるだろうと興味を持ち、研究者が集まる科学技術合宿などの課外活動にも参加していたそうです。
「なぜ」という疑問をいつも持っていたようですね。
英語はほぼ独学。無謀な気質が合格につながったと自己分析。
いや~ぁ、若いことは素晴らしい。

さて、このニュースで、わたしが非常におもしろく感じたこと。
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大学側から、合格の理由が告げられるそうです。
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いや~ぁ、素晴らしい。

さて、日本の大学だと、成績開示は点数の通知ぐらいなものです。面接等で「なぜそのような点数になったのか」、例えば、100点満点の面接で50点だった場合、50点の理由は判りません。

医学部再受験生の面接の点数なども、その点数になった理由は完全にブラックボックス。それで、トシが1歳上がるごとに1点減点とか、本当かウソか分からないような都市(トシ)伝説が蔓延るわけですね。

というか、大学が「(トシ喰ってる)この人を是非とも欲しい」なんてこと言うことは、まずないでしょうけれど、「(年寄り医学生を)特に欲しいわけじゃないけど、居てもいい」ぐらいなんでしょうね笑。
それでも、採ってもらえることは、ありがたいことですが。
若い医学生がメインディッシュなら、年寄り医学生は塩コショウぐらいなのかな笑。

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(前ページからの続き)

5年間の冬眠を経て再挑戦

既に40代でしたが、前回の2006年入試からしばらく経った頃から、何故か、倦怠感、頭痛、集中力の低下、不眠など、体調不良や精神不安定な状態が慢性的に続く日々に襲われました。血圧が85/60mmHg、脈拍が54/分なんてこともありました。女性ほど顕著ではないものの、男性にも更年期があるのかと思いました。というのも、漫画家のはらたいらさんが、自身の著書の中で男性更年期にかかったと述べていたからです。
しかし、仮に自分がそうだとしても、アラフォーではまだ早い。
何回か医療機関にかかりましたが、原因は明らかではなく、よく分からないまま漢方薬などを服薬していました。
幸い、仕事はそんなにハードではなかったのですが、頭の回転が鈍く、受験のような思考力が要求されるものにはとても対応できなかったです。ただし、仕事は辞めたりせずに、受験のことは忘れて、ムリをせずボチボチと生活していました。

そんな生活が正味4年続きましたが、2010年になり、調子が上向いたので、2011年にもう一度受けてみようと思い、再び三重大学医学部医学科の後期日程に照準を合わせました。国公立大学前期日程や私立大学の医学部はどこも受けず、三重大学1校、後期のみの一発勝負。
後期の定員は以前の15名から、2011年入試では10名へと、運が悪いことにさらに減少していました。
受験科目は小論文のみで、与えられた英文を読んで日本語で論述する形式。

英語には割と自信があったので、普段の勉強はセンターのみに集中。とにかくセンターの過去問をやりまくりでした。
前期日程はどこも受けないので、記述式の数学Ⅲ、物理Ⅱ、化学Ⅱ、生物Ⅱなどは一切無視。今さらこれらの科目の実力を付けるよりは、自分が持っている英語力を生かした方が得策だと踏んでいました。
模擬試験は、受けるとしたら英語ですが、これも今さら他の人と比較しても意味ないと考えていたので、直前も含めた過去4~5年間は全く受けていませんでした。6年ぐらい前に3回ぐらいK塾の全統模試を受けたぐらい。
予備校にはお世話になりませんでした。自分の場合、英語小論文は少なくとも合格者の平均以上はいける自信がありましたし、センター試験の勉強は「自分で如何にやり込むか」だけのことでしたので、予備校に行く必要はないと思っていました。
実際、小論文の勉強は、センター後から開始。

職場では、何食わぬ顔をして普通に勤務していました。幸い、残業は比較的少なかったです。
いいトシして仕事を辞めるわけにもいかなかったので、仕事しながら勉強の方は随分と省エネで…(アラフォーが受験に失敗して無職になったら、どこにも引き取ってもらえません)、勉強内容は絞りに絞りまくっていました。
ある意味、トンデモナイ受験生でしたね笑。
これから受験予定の方にとっては、こんな体験記、全然参考にならないと思いますが…。しかし、現実的な選択だったと思います。

既に40代半ばに差し掛かっていました。

*)仕事をしている方で、医学部再受験を検討中の40代の方、今の仕事は辞めない方が
  いいと思います。数年勉強を続けて、もし医師になるのを諦めた場合、余程の職歴が
  ないと、会社など民間企業への好条件での再就職は非常に厳しいです。
*)仕事をしながら片手間の受験勉強で受かるのかという疑問もあるかもしれませんが、
  ある程度の合格の見込みを得るまでは、やはり辞めない方が賢明です。辞めて受験に
  専念し、それでもあなたが受からなかった場合、無職のあなたに対し誰も救いの手を
  差し伸べてくれません。40代の無職は、20代の浪人生以上に、この先待ち受けて
  いる社会の風は冷たく厳しいのです。
*)模試の偏差値が60未満とか、合格の射程距離内にも入っていない場合、まずは如何
  にして射程距離内まで学力を引き上げるべきかを、勉強法のみならず、仕事を辞める
  以外の方法で環境調整をするなど、リスクを最小限にしながら、知恵を絞って考える
  べきです。
*)今の自分の学力を冷静に分析することなしに「退路を断つ」「自分を崖っぷちに追い
  やる」という意味で退職するのは馬鹿げていますし、無謀で極めて危険な考え方です。


三重大学 後期 を選んだ理由

再受験生に寛容なことは、2006年以前から解っていました。
二次試験の筆記(後期)が自分が得意な英語(英語小論文)のみということ、面接が約10分間と短いこと(10分と15分ではだいぶ違う!)。そして、わたしの地元に比較的近いこと。

あと、些細な話ですが、大多数の大学で「合格者最低ラインに複数の同点者が並んだ場合は面接の評価が高い者を優先して合格とする、同点でかつ面接の評価も同じ場合は二次試験の得点が高い者を優先して合格とする」などの選考基準が示されていて、要するに、定員ピッタリの数の合格者を出すことが示唆されています。
ところが、三重大学では「合格最低ラインに複数の者が並んだ場合は全て合格とする」と受験要綱に書かれているではないですか(当時)(2015年後期は11名が合格。後述)。
優しい大学だなぁと思いました。

センターの社会科でA科目、理科で総合科目が当時選択できた医学部は三重大学のみ。そういった科目は出題範囲が狭く、内容もかなり平易で、当時働いていたわたしにとって労力の低減になり、大変助かりました。数学もⅠAⅡBのうち、AとBは最初から無視していました。
当時の三重大では、驚くなかれ、医学部医学科でありながらセンター試験の選択科目は全ての科目の中からどれでも自由に選択することが可能だったのです(ただし、これが認められていたのは、わたしが受けた2011年まででした)。
もちろん、これらのウラ科目を選択すれば、他大学の受験は不可能になります。他大学の医学部では、地理Aや数Ⅰや理科総合などは門前払いですので。しかし、センター試験で得点率が95%であろうが80%であろうが三重大学一本、センター成績に応じた志願変更など最初から全く考えていませんでしたので、それでよかったです。
先にも書いた通り、できるだけ勉強内容が絞れて、負担が少なくて済むように考えていました。

こういった理由から、自分に有利に働く三重大後期のみに絞っていました。全国全ての国公立大学の受験科目、再受験寛容度、面接内容などを徹底的に調べ尽くした結果、自分にとって三重大後期がベストチョイスだと確信していました。第2志望は最初からありません。
もしこれでもダメなら、医学部はダメなんだろうと思っていました。しかし、結果的に完全に作戦勝ちだったと思います。

週5日、働いていた日の勉強時間は1日にせいぜい5時間ぐらいか。勉強内容は徹底的に省エネ。省エネ作戦敢行。国語と英語以外は全てウラ科目を選択!
こんな人、後にも先にもわたしだけでしょう。
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*恥ずかしい点数(国語と数学Ⅱ)は隠しています。
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*数学Ⅰと数学Ⅱは各50点満点、その他は各100点満点の傾斜配点。計600点満点。

全くゼロからやり直さなければならなかったのは古文と漢文ぐらいで、地理も数学も最初から覚え直すほどでもありませんでした。理科は物理・化学・生物・地学の4科目ともだいたい理解していましたが、総合科目を含む3科目を選択(うち2科目を採用)。
英語筆記は196点、リスニングは48点でした。
ちなみに、高校では地理と地学は履修していませんでしたけど笑。特に進学校でもない平凡な公立高校出身です。

三重大に仮進級の制度があることや、1年生から2年生へは留年がないなど進級が比較的緩いことは、大学に入学するまで知りませんでした。
地方都市の国立大学としては、意外と交通の便が良いです。近鉄の急行停車駅まで徒歩8分。

そして合格

センター試験の社会、理科、数学は簡単な科目を選択したものの、得点率は前回2006年よりもだいぶ悪く、出来はそれほど良くなかったです。センター:二次=2:1で逆転の余地も元々少なく、定員も少なくなってましたし。
前回受験の時よりも、明らかに不利な材料が揃っていました。

それで、実はあまり期待していませんでしたが、二次との総合点で最低ラインを7点余り上回り、合格でした。捲土重来(けんどちょうらい)といったところですかね。

ちなみに、後期の実質倍率は3.8倍。ところが、前期の倍率は4.2倍だったそうで、後期の方が倍率が低かったです。まあ、後期には、前期で受かって戦線離脱した人は来ませんから。後期の方が倍率が高いと一般的に言われますが、実際にはその時の運にもよるでしょう。
それと、みなさん前期の勉強でエネルギーを使い果たして、ライバルさんたちは後期小論文なんておそらく最初から見向きもせず、大した対策もしてないんだろうなぁ、といった "読み" もありました。

ところで、倍率に関してもっと凄かったのは2015年の後期入試。受験者22名、合格者11名(追加合格者は含まれておらず、最初から11名が合格)、倍率2.0倍でした。国立大の医学部受験でたったの2倍なの?、
っていう感じでビックリ。
すごくお買い得じゃないですか?

さて、入試面接は100点満点で点数化されますが、後からクラスメートに聞くと、後期合格者は再受験生も含めて皆90点でした。わたしも面接は90点。
今は再受験生には再面接があるのかな?、そんな話をどこかで聞きましたが、わたしの時は再面接なんてありませんでした。

英語小論文は156.3点で、最高点の人とは3点差、面接点と合わせた二次試験の合格者平均点229.88点のところ、わたしは246.3点でした。
小論文で小数点以下の点数が出るのは、複数の採点者が居て、平均を採るからだそうです。
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ちなみに、面接官は2名。うち1名は、耳鼻科のT教授でした。出願時には履歴書を同封することと定められており、これまでの経歴を全て正直に記載して提出しましたが、面接では経歴について特に質問されることはありませんでした。

英語に関しては、会社員時代にもコツコツと10年以上、受験のためというわけでもなく、勉強を続けていたことが良かったようです。やさしいビジネス英語(現 実践ビジネス英語)などNHKラジオ第2放送の英語講座を何年も聴いていました。
自宅には、当時の1990年代のテキストが100冊以上残っていました。
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結構タフな講座で、全然やさしくなかったですが。

その後2000年代に入って英語から離れていましたが、こんなわけで、久々にリスタートしても大して英語力が落ちていなかったのだと思います。久し振りに自転車に乗ったような感覚で、身体が覚えていたということですかね。
一時はトリセツやパンフレットなどを英訳する翻訳業で身を立てようかと考えていたこともあり、芸が身を助けたと言えるかもしれません。
もっとも、三重大入試では、英作文は出題されませんが…。

*)合格から入学までの出来事の概要は、次ページ107)に記載。
  社会人再受験生には参考になると思いますので、予定のある方は是非ご参照ください。
*)この記事は、元々はヤフーブログに投稿したものです。その関係上、コメントを書き
  込める機構がありません。コメント希望の方は、次ページ107)からお願いします。
  107)はライブドアブログに引っ越し後に書き込んだ記事なので、コメントが可能です。

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まず2006年に挑戦

あるキッカケで2006年入試で医学部を受験しようと思いました。以下、ザっと体験談です。
詳しい志望理由は非公開ですが、医師になりたいというそれなりの理由はもちろんありました。

本屋で情報収集していると、医学部受験体験記などの本の中に「再受験」「再受」といった言葉があることを知りました。そして、医学部再受験に対し、寛容な大学とそうでない大学があることを知りました。
受験科目を調べていると、中には信州大学前期日程が二次で数学のみ(当時)とか、数学と英語の他に理科がなしとか1科目だけとか、今もそういう大学は一部ありますが、当時は今よりももっと多かったです。
後期日程を実施していた国公立大学は今よりもはるかに多く、入試科目は様々で、大学ごとの違いが大きく、本当にアラカルトでした。
面接のない大学も、当時はいくつか散見しました。

K塾の模試を受けてみると、英語の成績が思った以上に良く、他の科目はあまりパッとしませんでしたが、英語はそのまま何もしなくても良さそうな雰囲気でした。会社員時代にもテクニカルライティングなど英語を勉強していたことが効いたみたいです。ハッキリ覚えていませんが、偏差値は70を少し超えていたと思います。
ちなみに、帰国子女ではありません。1994年に受けていたTOEICの成績が800点台半ばぐらいで、その当時も今も日常英会話には困らない程度。
さすがにペラペラ、とまでは言えませんかね。ペラ、ぐらいです~笑。

センター試験科目も、本当にどうしようもない忘れ方をしていたのは古文と漢文ぐらいで、あとは少し見直してみると、社会(地理)も数学も理科も何とかなりそうで、これらに関しては割と順調にリスタートできました。

2006年の三重大後期は英語のみ。面接は段階評価(まだ点数化される以前)、定員は15名でした。前年2005年の後期定員は20名でしたから5名の削減ですが、削減された5名分は推薦入試に回っていて、推薦の定員が10名→15名に増えていました。
何かかんか言っても、やはり若手の方が門戸が広くて有利なんですよね。

きわどいところで不合格

センター得点を三重大の傾斜配点にすると、900点満点で827.3点、91.9%でした。
「こりゃあ、受かるかもしれない」と、内心思い、心が躍りました。

三重大は再受験に寛容という情報の裏付けもあり、三重大の後期を受けてみました。結果ですが、二次(英語のみで200点満点)の合格者平均点が143.25点のところ、わたしは152点と二次英語は合格者の平均を上回っていました。しかし、センター合算の総得点がわずかに5.5点足らず、不合格でした。
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理科は各200点満点、その他は各100点満点の傾斜配点で、計900点満点。
化学Ⅰの配点は2倍に拡大されていて、96点が192点になりましたが、あと1問、4点問題が正解できていれば8点プラスで合格だったのです驚。

2人の面接員の評価は段階評価で、AとBでした。アラフォーでしたが、面接の評価は悪くなかったようです。
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自分の総得点は89.0%でしたが、合格者最低ラインが89.5%の年でした。

なかなか上手くいかないものです。後期日程は定員減もありましたし。もし定員が20名のままだったら、受かっていたかもしれません。センターがあと1問できていれば…。まあしかし、入試に「もし~たら」は抜きにしないといけませんけどね。
しかし、仕事しながら数ヶ月の勉強で受かってしまっては甘過ぎるというもので、センター9割はビギナーズラックみたいなものでしょう。

ただ、英語だけならそのまま医学生に交ざっても通用するんだな、という変な自信を深めました。ちなみに、センター英語は177点とやや不本意でしたが、この年に初めて施行されたリスニングはほぼ無勉の状態ながら満点でした。
不合格は不合格。しかし、不合格ながらも、少しびっくりな結果でした。

学士編入試験について

なお、学士編入試験についてですが、当時はほとんどの大学で、前の大学の先生から推薦状を取ってくる必要がありました。今もそういう大学は一部あるにしても、以前ほどではないみたいです。
いろいろと書類を揃えるのも面倒で、試験対策も立てにくいため(K塾のカルズが受験対策講座を行っているようですが)、わたしは1校も学士編入を受験しませんでした。

ちなみに、三重大では学士編入は行われていません。行わない理由は知りませんが、行わない確固たる理由はあるらしいです。

推薦状については、中には職場の上司の推薦状も用意しろという大学も当時ありました。そういう大学は、研究職か何かやってきた人が受験することを想定しているのかな。どうなのか知りませんが、普通に考えて、一般企業を辞めて医学部受験する人の場合、上司の推薦状なんて取れるわけがない(断言!)。辞めていく部下に推薦状なんて、上司が書くわけないじゃないですか。
全く何を考えてるんだろうと思っていました。

(次ページ 106)に続く)

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