【リスタート の会】医学部医学科|元40代再受験生のブログ

自己紹介:22歳で某大学理系学部を卒業後、複数の民間企業に勤務。2011年、40代半ばで某国立大学医学部医学科に入学した再受験生です。2017年卒業、同年医師国家試験合格。2年間の卒後臨床研修(初期研修)を経て、2019年から某科専攻、現在勤務医です。                              ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ブログ紹介:001)~120)が医学科6年生~初期研修の日記です。元々再受験生の会(リスタートの会)のブログにするつもりだったのが、年に2回程度しか集まれず、すぐにネタ切れ。そのうちに個人的なブログに変身してしまいました。非医療関係者の方々に医学生や研修医の日常を垣間見ていただけましたら幸いです。                                     医師3年目以降については201)以降に掲載。仕事の話は特定されない程度の内容に留めており、趣味や日常の当たり障りのないことを適当に書いてます。話題に一貫性やまとまりがありませんが、悪しからずご了承を。会社員から医師に転向した者の日常の独り言集です(一部、回想記を含む)。タイトルには「元40代」とありますが、このブログを書き始めた頃にはとっくに50代に突入していました。 趣味:ベランダ菜園、文鳥飼育、日曜大工、YouTube 視聴など。過去の趣味:海外旅行(50ヶ国以上)、バイクツーリングなど。  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――注:1)~204)(2019年7月まで)はヤフーブログからの引っ越し記事のため、コメント書き込み不能です。ただし、107)は例外。コメント書き込みをご希望の方は、107)か最近の記事のコメント欄からお寄せください。

2019年03月


明日は4月1日ですね。日本では新年度。学校や就職では、新たな場面を迎えます。

今回は、医師の就職事情について書きたいと思います。
と言っても、
①医学部を卒業して初期研修医として臨床研修病院に勤める場合と、
②初期研修を終えた3年目医師が新しい病院に勤める場合とで、
少し異なります。

話が長くなりますが…。

①初期研修病院決定のプロセス

初期研修の場合、医学部6年生の時に、基本的にマッチングというシステムで研修病院が決まります。簡単に書くと、学生側は行きたい病院を順位付けして登録し、病院側も欲しい学生を順位付けして登録し、コンピューターが一定のアルゴリズムで互いを結び付ける決まり方です。
一応、就職面接はあり、正式な顔合わせはあります。その後にコンピューターに登録します。

マッチングで決まらなかった場合は、二次募集を行っている病院に学生が各自面接を申し込んで、採用してもらうことになります。
ほとんどの人がマッチングで就職先病院(研修先)が決まっています。決まるのが10月なので、決まってない場合に改めて各自面接に行くとなると、国家試験の勉強にも少々差支えが出ます。

研修病院の全定員は、医師国家試験の合格者数よりも多いので、病院の良し悪しはともかく、どこにも就職できないことはありません。
一応、医師国家試験に受かれば、就職率100%と言っていいでしょう。

②3年目医師の就職

パターンはケースバイケース。
大学の特定の科の医局に属して、医局人事で就職する病院が決まる場合もあります。入局するにしても、希望を出して希望病院に勤める場合もあります。以下の③で述べる専門医研修を受ける人も多いので、プログラムに登録されている病院を自由に選べるケースも多いのかもしれません。
そこは医局次第じゃないですかね。医局の方針など聞いておいて、その医局に属した場合どうなるのかを占うしかありませんね。
昔はほぼ全員がどこかの医局に属したようです。

医局員であれば、基本的には「医局人事」というものから逃れられませんね。
医師が転勤して、患者さんの側から見ると主治医変更を余儀なくされることがありますが、これは医局人事による転勤だと考えて、まず間違いないですね。

今も多くの人は医局に入りますが、入らない人も少なからず居ます。
医局に入らない人の場合、個別に病院面接を受けて就職が決まります。国公立病院の場合は自治体の面接を受けるのかな?、よく知りませんが、一般の医療法人なら院長決済です。民間企業の社長決済と同じですね。

③専門医制度

2018年度から新専門医制度が導入されました。内科とか外科とか全部で19の科があり、1つだけ選んで専攻します。
この専門医制度は義務化されていません。また、現状では専門医資格がなければその分野の仕事ができないわけではありません。内科専門医資格がなければ「内科専門医です」と名乗ることはできませんが、「内科医です」と名乗ることは可能ですから。
しかし、多くの人は専門医の資格を取ろうとするでしょう。

プログラムは原則3年間ですが、科により一部は4年間や5年間です。レポート提出や試験なども経てプログラムを終えると、最終的に「〇〇専門医」という専門医資格が与えられます。
3年間で2~3の病院のローテートを要するため、途中で病院を変わります。引っ越しを伴う転勤も当然あり得ます。

以前にも書きましたが、
・医局に入って専門医取得コースを専攻する人が大多数
しかし、
・医局に入らずに専門医を専攻する人
・医局に入るが専門医を専攻しない人
・医局に入らずに専門医も専攻しない人
も少数ですが居ます。

医局に入って専門医コースを専攻するが、専門医資格を取得したら医局を辞めるつもりの人も何人か知っています。
なお、専門医資格は更新制です。資格を取っても、一定の要件を満たして更新しなければ失うことになります。

④わたしの就職活動(初期研修中→3年目の今回)

医局とか専門医とかの個人的な情報は伏せますが、わたしの場合、当初は4つの科の選択で迷っていました。
アラフィフですが、自身の研修病院も含めて、来て欲しいとお誘いがあった病院が計6つありました。

具体的な就職のお誘いは、以下のA~Fの病院6つ。4種類の科が含まれています。
A)初期研修中に2ヶ月間出向していた外部のA病院から、3年目からウチに来ませんかと
  院長や副院長に言われていました。
B)1ヶ月間出向していた外部のB病院から、年収〇〇万円でウチに来てくださいと事務長
  から言われました。
C)学生時代から何回か参加していた某科の勉強会で、某〇〇科ならウチが大歓迎しますと
  C病院院長から言われていました。
D)ある公立D病院を2年次に見学した際、〇〇科を専攻するなら後押ししますよと院長に
  言われました。
E)自分の臨床研修病院であるE病院で、専攻科を迷っていてまだ決めてないと研修委員長
  の先生に言ったところ、ウチに残って欲しいと言われました。
F)先輩の薦めでF病院を1年次に見学していて、2年次にもう一度見学した際に、ウチで
  良ければ是非ウチに来てと院長に言われました。

結局、上記の某病院にしましたが、面接というより院長と軽くお話した程度で、アッサリ受け入れていただけることになりました。

わたしは民間企業経験者でアラフィフ研修医です。医師歴が2年のアラウンド50。
大手民間企業なら、50歳前後で職歴2年では、正規社員としての就職はほぼ不可能、不用品扱いです。
病院は、とにかく医師が欲しいのです。医師免許はつくづく強いなぁと実感しました。ありがたいことだと思います。

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2年目研修医です。

3月12日に臨床研修管理委員会があり、そこで初期研修を卒業!させてもいいという会議があって、一応卒業が決定。初期研修のレポート32本は全て受理されています。

今日20日に臨床研修修了証授与式がありました。厳密には3月末日で初期研修修了なのですが、少し早く修了ということになりました。15時から2年目研修医が小さな会議室に集められ、院長や副院長、研修委員長の先生方からお言葉をいただき、1人ひとり修了証が渡されて、記念撮影をして締め括りました。

手渡された修了証。
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今日以降は有給休暇の消化などで、大半の2年目研修医は来なくなります。
わたしは、まだあと1回当直がありますから、その当直明けで研修修了(終了)となりますが…。

2年間の研修が長かったのか短かったのか、実感としてもあまり解かりませんが、やれやれという少し重荷が下りた気持ちです。
昭和4X年生まれのアラフィフ研修医でしたが、体力面でも、精神面でも、取り敢えず今の病院で何とかなりました。むちゃくちゃハードな病院だったら、持たなかったかもしれません。

勤続2年で退職金はありませんが、病院の医局や親睦会から餞別を少しばかりいただきました。

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医師の時間外労働(残業)の上限を年間2,000時間にしようという話がありますね。

ちなみに、日本人の標準的な年間労働時間は2,000時間。すなわち、1日8時間の週5日勤務で週40時間。年50週として、年2,000時間というわけです。
欧州では、年1,700時間とか、労働時間が日本よりもはるかに短いですね。

つまり、時間外労働が2,000時間ということは、労働時間の合計は年間4,000時間ということですから、日本人の標準の2倍の労働時間ということになります。
時間外労働が年に2,000時間とは、月に直すと167時間。過労死の基準となる時間外労働が月80時間から100時間ぐらいだと言われていますから、かなり過酷です。

さすがに実際にここまでやっている医師はそんなに多くないでしょうが、年3,000時間、すなわち、時間外労働が年1,000時間(≒月80時間)ぐらいなら、おそらく普通にいるんじゃないでしょうか。

自宅やその周辺に居ていいけれど、電話呼び出しがあれば病院に駆け付ける「待機」というものもあり、自由にできない拘束される時間はあります。こういった時間を計算にどう入れるかにもよるとは思いますが。

以下は、わたしが登録している医師向けの某サイト。
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医師の労働時間の上限を低く制限すると、診てもらえなくなる患者が多くなってしまうからマズイという懸念もあるのでしょう。医師はプロフェッショナルだから、時間外労働が多くても仕方なしという(それも半端でない多さでも)、最初からそういうスタンスなんですかね?

医師だって生身の人間ですよ。

医師側が何も言ってこないことをいいことに業務改善が図られない病院、いっぱいあります。そんな悪条件でも文句を言わずに働いている間は、経営陣はシラーッとして、何もしようとしないんです。そういう病院で、医師が7人ぐらい一気に退職するような ”事件” があれば、すぐさま報道されますけどね。
医師の善意や使命感に頼りきり、甘えている病院はダメでしょうし、そういう社会構造ではダメでしょう。

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この3月で2年目研修医は全員退職、そして、他の医師も何人か退職することになり、病院の医局送別会がありました。いろいろな人がいろいろな話をされていました。
個々の話はともかく、今回は以下
ひとつだけ。

当時院長をされていた前院長先生とお話しました。もちろん、アルコールの影響下で。

遡ること医学部6年生の8月に、三重大を会場にして複数の病院が同時開催する採用面接会がありました。面接は、午後1:00~1:10、1:20~1:30、1:40~1:50、…と休憩10分間をはさんで、1人1コマ10分間と設定されていました。
わたしが今の病院の面接を受けたのが1:00から。冒頭で、「次の病院の面接は何時から?」と聞かれ、「次は1:40からです」と答えると、「じゃあ30分以上あるね」と、本来10分間のはずだったのに、たっぷり30分も、自分の過去の経歴なども含めて質疑応答。
実はこの病院、三重大生の応募はわたし1人しか居なかったのです。三重大の同級生が居ない病院に来てしまいました。

面接員は5人で、わたしの正面に座っていたのが院長(当時)。面接時、院長はずっと渋い顔をされていて、結局最後まで院長からは何も質問がありませんでした。
こりゃあ、雲行き悪く、感触ヤバイんじゃないか、と思っていました。

今回の酒の席で、当時の話をされたのですが、面接後に院長と事務長が話し合って、「この人採用するの、いいんか?」と、ちょっと揉めていたよう。
そりゃあ、アラフィフ研修医を採用するなんて、この病院にとっては前代未聞の話。採用するなら若いやつがいいに決まっています。内部でいろいろ揉めるのも無理はないと思いましたが、ナマでそういう話を聞いたのは今回が初めてでした。
最終的には収まる所に収まるもんですが、やはり高齢者だと採用では少し揉めるんですね。

ここの病院で研修医を2年間やってきて、病院としてはプラスマイナスゼロ。わたしが貢献できた部分も多少はあったのでしょうが、研修医なんて教えてもらう一方ですから、病院としてはむしろ持ち出しでしょう。
どこの馬の骨か分からないわたしを採用したわけですし。
まぁ、勉強とはいえ、日当直などで上級医にコキ使われた側面ももちろんありますよ。

実際に、病院としてこの研修医を雇って良かったと言えるのは10年後かもと。今後の活躍に期待といったところか。
2年間終わって、これからが真価を問われるということですかね。

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2年目研修医です。有給休暇をもらって今日引っ越しします。
あいにくの雨ですが☔
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今の住居が家具付きの物件なので、自分の冷蔵庫や洗濯機など、私財を新居に送ってしまっても、引き続き生活可能。部屋は殺風景になってしまいますが…。

引っ越し業者には正月明けに依頼。今日3月4日(月)なら安くできるからと、今日にしました。3月末だとメチャクチャな金額になってしまいます。業者の人手不足もあり、マスコミでは “引っ越し難民” という言葉まで聞かれますね。
早めの引っ越しが吉ですが、今の住居が家具付き物件だからこそ可能でした。

3月末に国民が一斉に大移動するの、止めにした方がいいと思いますね。
5月の10連休もそうですが、国民一斉に…は止めましょう。

さて、新しく移る病院からは、常識的な範囲内の金額なら引っ越し費用を負担しますと言われました。しかも、3月分の家賃も病院が負担してくれるとのこと。
なんとありがたいことか!
やはりお医者さんだからかな。
民間企業で言えば、これは重役待遇かもしれません。
わたしのサラリーマン時代の経験ですと、会社の人事異動であれば、ヒラ社員でも引っ越し費用はブラック企業でない限り全額会社負担になります。しかし、入社時点で引っ越し費用を全額負担してくれる会社は、かつてのバブル期以外ではそんなにないと思います。

ただし、どこの病院でも上記のような対応をしてくれるかと言えば否です。医者といえども多くのケースで自己負担、医局人事でもケースバイケースですが、引っ越し費用はほぼ自己負担だと聞きます。まぁ、先方がその医師を喉から手が出るほど欲しがっていれば、重役扱いしてくれるかもしれませんけれど。

さて、今の研修医の仕事ですが、まだ残っています。
基本的に3月20日以降は無罪放免、日常業務から解放されますが、3月最終週の輪番日に当直が入ってしまいました。その日だけはポツンと出勤して、2年間の研修医生活を締め括ることになりました。

最後まで残っている段ボール数箱、観葉植物の鉢植え、布団一式など、3月末に車で運んで、引き上げが終了する予定になっています。

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研修医という立場上、このトシになっても、若い上級医からキビシイこと言われるのもしばしば。年齢の割に若く見られてアラフォーどころか30代後半ぐらいにしか見られないこともあり、血気盛んなアラサー上級医は、あまり遠慮がないこともしばしば。
まあ、それも仕方ないんですが。怒られるのも研修医の仕事なんで…。

脚色はありません。2~20歳年下の上級医に言われたコメント集です。

「モタモタしてたら死ぬぞ。患者を殺す気か!」
→焦って焦って焦りまくってやっております汗。

「やること何もかもが中途半端だ!」
→ご指摘ごもっともなんですが、こっちも勉強中なんで、そんなに怒らなくても…。

(1年目の6月頃に)「おまえ、医者だろ!」
→一応医者なのに何もできなくて、ぐうの音も出ませんです、トホホ。

(2年目の6月頃に)「1年ちょっとやっててこのレベル?」
「何となくやってるから、何となくしか覚わらないんだぞ!」
→2年終了までには何となく、じゃなくて、何とか帳尻を合わせますから!

「こんなレントゲンのオーダー、ありえねぇ~」
→う~ん、シンプルながら、かなり毒のあるコメント。

「君ねぇ、取り敢えず2年間を無難に過ごせばいいと思ってるんじゃない?」
→いえいえ、決してそんなことはございません。いや、33%ぐらいはそう思っているかも。

「こんな頭のCTも診れないなら、先生ねぇ、救急やる資格ないよ」
→ん? こないだの酒の席で、オナカのCTは全然解らんと言ってたの、誰でしたっけ?

(当直で)「ウォークイン患者は、自分で診れると思った患者だけ採って。診れない患者は断っていいからね」
→ん? てことは、どっちみち患者は研修医に丸投げ? 
ボロクソコメントというわけではないのですが。
救急患者がもし入院になったら、あなた様が暫定主治医になりますけれど、フォローする気も、自分で診る気も、まるでなし?

いちいち反応していてもしょうがないので、大人しく胸にしまっておくのが吉。
信頼できる研修委員長の先生に、こっそりとチクルことは何回かありましたが。研修委員長の先生から、「研修医のうちは、検査オーダーなんかも泥臭くしっかりやっておいた方が良い。ああいう適当にやってる上級医は、そのうちに痛い目に遭うから」などと慰めてもらいましたわ。

ぶっちゃけ言って、
「この先生なら、何でも親身になって教えてくれるから、一緒に当直をやりたい」
「この先生とは、得るものないから、一緒にやりたくない」
というのはあります。
相性もありますけどね。

医者の世界も社会の縮図ですから、いろんなキャラクターの人がいます。正直なところ、「なんだコイツ!」と思うような人は居ます。
ある割合で、"コイツ" みたいな医者は居ますよ笑。人間ですから。
まあでも、そんなことを言わずに2年間、新米ですから、年下の医者から「君ねぇ…」とかタメ口で言われようが、波風立てずに身に付けるべきものを身に付けるのみです。
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わたしの小学校の同級生でストレートで医者になった友人の話だと、当時は医師国家試験が4月にあったらしいです。卒業後ということだったようで。
今は卒業前の2月にあります。
医学生が卒業し、医師免許を得て研修医になる場合、臨床研修病院に就職することになります。
“研修” という語句が付いていても就職に違いありませんし、研修医も医師に違いありません。
一部例外はあるものの、基本的に正規職員扱いが多いです。
ちなみに、インターンなんていう制度は、とっくの昔(1968年)に廃止されております。

さて、大学病院以外の、市中病院で研修を受けるつもりなら、遅くとも5年生の夏には最低2~3ヶ所は病院見学しておいた方がいいです。6年生になってから可能性のある病院をもう一度見学して、絞り込む感じです。
6年生の時の見学が重要なのは、学年がひとつ上の研修医との相性の問題もありますから。

研修内容は、現役研修医から直接聞くのが一番手っ取り早いし正確。ですから、必ず見学すべき。
特に、当直の様子は、よく見聞きしておいた方がいいです。
福利厚生については、ホームページや研修病院ガイドブック等にある程度載っていますが、やはり詳しくはそこの病院の現役研修医から聞くのが確実です。就職する以上、福利厚生が正しく機能していることは大切なことですから。

大きな病院の方が、より高度な医療に接するチャンスが多いだろうと思います。しかし、いろいろな科をローテートしますから、ローテート中の科にそれほど興味がなければ、高度な医療ほど退屈かもしれません。高度なものほどレア度も高いですから、特に興味のない科のローテート中では、将来的に遭遇することはまずないことに時間を費やすからダレてくるのです。
その人の考え方次第なんですが、例えば将来A科を専攻するつもりなら、B科やC科など他の科のローテートでは、専門的な高度医療よりも、よくある軽症疾患を診ておいた方が為になると思いますが、どうですかね?
特に初期研修では。

大規模病院の多くは、紹介状がないと患者を受けません(救急外来は別ですが)。つまり、軽症患者は来ない可能性が高い。総合診療科のような、よくある疾患を幅広く診たいなら、大規模病院よりも中小規模な病院の方がむしろいいと思います。
中小規模の病院には、そこで治療ができるかどうかはともかく、何でも来ます。つまり、大は小を兼ねません。
ただ、小規模な病院にしっかりした指導医が複数居るだろうか?、という視点も重要ですが。

その他、見学して見極めておきたいこととして、研修医に重圧がかからないような環境になっているか、当直体制に無理はないか、変なデューティーはないか、こういったことを現役研修医に聞いておくことも大切だと思います。
朝の勉強会も、わたしの病院では週1回あります。自分にはこれぐらいがちょうどいい。
その人次第だろうと思いますが、勉強会が月から金までの毎朝あるとバテるでしょう。

病院見学について、もう少し補足。
わたしは昔、営業の仕事をしていたこともありましたが、現場に足を運んで実際に見るのは非常に大切なことです。百聞は一見に如かず。面倒臭がってはいけないと学びました(特に、トラブルの時ほど足を運ぶことが大事で、メールや電話などで済ませてはいけないです)。
倒産しそうな取引先は、事務所や工場の様子を見るだけでも、何となく雰囲気でヤバさが判るものなんです。

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ポリクリ(臨床実習)

CBTとOSCEが終わると、1年以上かけて数名のグループで各科をローテートする臨床実習が始まります。この臨床実習のことをポリクリまたはクリクラ(クリニカルクラークシップ)と呼んでいます。長い科で4週間、短い科で1週間ぐらいで、終わると次の科へ行くことを順に繰り返して、全科を経験します。
いったんグループが決まると、最後までメンバーチェンジはありません。

4年生の2015年1月に始まり、各科のローテートが終了したのが2016年3月で、ちょうどこのブログを書き始めた頃ですが、日常を書く目的で開設したブログではなかったので、ポリクリのことは当時ほとんど書いていませんでした。
ここで少し記載します。

実習では、病棟回診、患者さんの問診、座学、レポート作成、外科系なら手術見学などがありました。手術では、滅菌ガウンや滅菌手袋を装着して、助手として参加することもありました。

科にもよりますが、8時半から17時までしっかり拘束されることもあれば、半日だけで終わることもありました。朝2時間ぐらいで終わって解散、あとは自由ということもありました。その辺は様々ですね。ロッカールームでは、これから実習という学生と、今日の実習はもう終わったという学生が鉢合わせすることもありました。
ということで、臨床実習は意外と大変でもなかったです。レポートもせいぜい1~2週に1本でしたし。

6年生では、4週間の実習が4つ(当時)、選択制の実習がありました。内科系を1つ以上、外科系を1つ以上含めて選択することになっていました。
実習病院は、大学病院のみならず、提携している市中病院での実習の選択もできましたし、海外の病院を選択することも2つまで可能でした。わたしの記憶では、多分50人ぐらい、4割ぐらいの人が海外を1つ選んでいたと思います。海外を2つ選んだ人は2~3人だったかな。
ただ、臨床実習が終わると、夏休みを挟んで卒業試験が始まりますし、そろそろ国家試験の勉強を本格的に始めたいと思う人も多くなります。そんなことから、試験勉強に時間を割きたいからと、楽で暇という評判の実習先に人気が集中する傾向がありました。もちろん、応募者多数の実習先は抽選になりましたが。
逆に、厳しい実習先は人気なし。
学生数に対して受け入れ先は2倍ぐらいの数がありましたから、まぁ皆さん無難な実習先に収まっていくものでした。

さて、個人的な感想ですが、最も感銘を受けたのは大学病院の心臓手術の見学でした。手術には臨床工学技士も参加し、人工心肺装置を動かしながら、停止した心臓に執刀医がメスを入れていきます。人命を預かり、使命感を持って、チームワークで難しい手術を遂行していく様子を見ていて、とても感動しました。

ストレス

5年生のローテート実習(ポリクリ)では見学がメインでしたし、先にも触れましたが、レポート提出はだいたい2週間に1本の割合で、意外と大変でもなかったです。おそらく看護学生の実習の方が、デイリーノートなど毎日書いて提出させられるなどノルマというか宿題がある分、大変だと思いますね。
6年生の選択制の実習は、もっとのんびりしていました。

しかし、医師国家試験を年度末に控えて、基本的に卒業が近くなるにつれて勉強が大変になってきます。ストレスで体調を崩している人もいました。
実は、わたしも突然片耳が難聴になりました。最初の難聴は低音障害型感音性難聴というもので、メニエール病のめまいのないバージョンの難聴でした。ステロイドや利尿薬などの薬物治療を受けていて、聴力が回復するのに半年かかりました。

ところが、その後、これは研修医2年目になってからの話ですが、同じ側の耳が今度は突発性難聴になってしまいました。こちらは治療があまり上手くいかず、研修病院の耳鼻科医からは、今さらステロイドを飲んでももう治らないと言われました。
これには相当凹みました。
このブログの日々の記録には書いてなかったですが、今も5,000Hz以上の高音が片耳でほぼ聴こえない難聴が残存しており、障害側ではクラシック音楽がまるで大正時代の蓄音機から流れる音楽のように聴こえます。
音の聴こえ方がおかしかったら、すぐに耳鼻科受診を(1週間以内に)。
最初、耳に水が入ったような、こもったような変な聴こえ方だったと覚えています。多分この段階で聴力検査を受けていたら、異常が発見されていたことと思いますが…。時間が経つと、治らなくなります。
*突発性難聴:突発性難聴(厚労省e-ヘルスネット)

病院見学

就職のための病院見学ですが、これは後日書きます。6年生の夏に病院面接がありました。その後のマッチングというシステムの下で、初期研修を受ける研修先病院が決まっていきます。

卒業試験と医師国家試験

これらについては、このブログの最初の方に書きました。

医師国家試験:

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